蕨(わらび)城跡 探訪!

 おはようございまする。

 
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 先日、埼玉県蕨を訪ねました。


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 さいたま市や赤羽の再開発に取り残されたような昭和な風景です。


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 コバトンも自転車レーンを走れ!といってます。自転車、免許制にして厳しく取り締まってほしいですね。歩道を爆走する自転車ライダーとか…。

 

 蕨に来たわけは…


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 蕨の城跡探訪です!


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 南北朝時代、足利氏一門の渋川義行によって築城。その後、渋川一族は九州平定の為に向かいました。しかし負けて京に戻りますが、足利将軍家の一門衆として遇されます。

 

 享徳三(1455)年、関東の鎌倉公方足利成氏関東管領山内上杉憲忠を襲撃死させて幕府に反旗を翻します(享徳の乱)。
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 「万人恐怖」と恐れられた時の将軍・足利義教は関東に新たな公方を送り込むべく、京にいた渋川義鏡(よしあき)を送り出します。

 義鏡は蕨に入り、蕨城を改修します。


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 蕨城の本曲輪にあった神社は「和楽備」神社として今なお、住民の厚い信仰を寄せられています。事実、ソレガシが訪れた時もひっきりなしに参拝していかれる善男善女がいました。

 

足利義教は嘉吉の変で討たれ、義鏡が公方を鎌倉入りさせることは頓挫しましたが、幕府方の公方の補佐役として義鏡は権勢をふるいました。

 しかし武蔵国の支配者・扇谷上杉氏と敵対し、負けて没落、小田原北条に従うことになりました。

 渋川一族は国府台合戦で当主を失い、四散して多くは帰農しました。

 また蕨城は徳川家康公の鷹狩屋敷として活用されました。

 南側には虎口と馬出があったようですが、現代は住宅地ばかりで見る陰もありません。


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 まずは参拝。

 


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 公園内を巡ると梅が咲き誇っています。


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 鴨も羽を休めています。

 


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 神社の境内には日清・日露戦役の石碑かあります。山県有朋や黒木大将が書かれたようですね。神社には地域の資料館という役割もあります。

 


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 今となっては平和な住宅地ですが、かつてはこの地にも戦乱の嵐が吹き荒れました。

 


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 蕨出身の兵士達が、乃木大将の遺徳を偲んで建てた銅像です。

 

 治にいて乱を思う…平和を支える陰の努力がいつの時代もあったことを忘れてはなりません。

 

オマケ
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 駅前で食べた黒チャンポンが美味しかったです。


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チャンポンスープで作った半カレーもマイルドな辛さで美味しかったです。