甲府を造った男 武田信虎
今年は甲府開府500年にあたり、様々な行事があったようです。ソレガシは人が沢山集まる時期や行事は避けますので詳しくは知りません。(´ω`)エヘン
その甲府を開いた方、武田信玄公のお父上である武田信虎公です。
画像は大泉寺にある武田信虎公の肖像画、息子の武田信廉により描かれました。
武田信虎公の銅像が甲府の商工会議所により寄贈されたというので見に行きました。
最初聞いた時、「信玄公が追放したのに、正気か?」と驚愕したものです。
おお…まさに迫真の出来ですね。信玄公や重臣達がびっくりしてひれ伏してしまうかも。
信虎公は血で血を洗う合戦を重ね、領民に重税を課して恨まれたものの、甲斐を武田氏の下に纏めた功績は無視できません。それがなければ信玄公の活躍も難しかったでしょう。
まあ、行き当たりばったりの外交政策で武田滅亡の遠因を作ったのも信玄公ですが…。
信虎公は躑躅ヶ崎館(武田神社)があった方向に背を向け、富士山を眺めるように立っています。
草葉の陰でかつての猛将は何を思うのでしょうか?