北関東の名城の痕跡 高崎城跡
一般に城を見に行く、というと国宝の松本城や彦根城、姫路城など古い天守閣🏯が残る城。大阪城や名古屋城、小田原城のような観光地化した再現天守閣を持つ城。または江戸城や仙台城など天守閣はないが、観光地化した城跡に行かれることと思う(城に興味ない方は以下、読まれないことをオススメする)
歴史・城好きもそれらの城に行くが、城跡を求めて里山や山中にもわけいっていく。
しかし街中の城跡はあまり行こうとしない。市街地化の過程で遺構が見るも無惨に壊され、見ると悲しくなるからである。
今回の群馬県高崎市の高崎城跡もそんな城跡だと思っていた。行くまでは…
群馬県立歴史博物館に『大新田氏』展を見に行った帰り(展覧会は某左翼歴史学者が否定発言していてイラッとしたが…)、軽い気持ちで高崎城跡に寄った。
高崎市には、かつて箕輪城が存在し、戦国時代には上杉・武田・北条など大勢力が取ったり取られたりを繰り返していたが、市内から離れているので今回はやめておいた。
高崎城は元は和田城という城であったが、豊臣秀吉の関東征伐後に関東を徳川家康公に任せ、家康公は重臣の井伊直政公にこの土地を任せ、直政公は慶長8(1598)年に高崎城を造った。関ヶ原合戦後、井伊家は近江国(滋賀県)彦根に移ったが、この地に入った多くの大名家が代々整備を重ねてきたが、明治維新後、廃城となり、更に陸軍が入った。
このような石碑も私たちの歴史を語るのである。平和主義教育に毒され、否定的な方が多いだろうが、平和の陰に必死で支える人がいてこそ平和を享受出来ていることを忘れてはいけない。
城跡は現在は市役所や裁判所、病院、学校、公園など公の施設ばかりで、かえってそれが幸いし、城好きがよろこぶ城跡になっていた。
ちょうど躑躅の咲く季節でかつての土塁(土を掘って盛り上げた城の基本的防御施設)や水堀沿いを歩いていくと、ひときわ高く盛られた土塁が見えてきた。
登れそうなので登った。土塁があると登り、空堀があるとはいりたくなるのが城好き。もちろん、禁止されている所は入りませんし、安全には配慮していますよ。
登ると5メートル以上の高さ!これは昂る!あとで地図を確認すると、高崎城南門跡。
現在の高崎市役所一帯。かつての城跡と重なります。
かつての高崎城。この図を左側に傾けると先ほどの図と重なります。
更に両方の地図を南門のあたりにあわせて比較。
土塁を跨ぐように門が築かれていたわけで、想像して昂ります。ご飯五杯はいけます。
他にも語りたいことは沢山あるんですが、一般人と距離が開くだけなのでこの辺りにしておきます。
最後に美しい躑躅をご覧ください。
癒されますね。(´ω`)
オマケ
後日、高崎市役所に電話して購入しました。これは素晴らしい本です。見ながらニヨニヨと微笑んでしまいます。歴史と城、古戦場が大好きです。迷いはありません!
(´ω`)キリッ!