浜松城 城と銅像と餃子と…
以前、浜松城について簡単に書きましたが、簡単すぎるので書き直します。
浜松城、元は曳馬(ひくま)城といい、今川家の重臣・飯尾家が任されていました。
しかし今川義元公の陣没、徳川家康公の自立と今川の両国全体が動揺する中、飯尾家中も今川派・徳川派に別れて対立が続き、当主・連竜は今川氏真に上意討ちされました。以後は今川派が曳馬城内をしめました。
更に徳川と武田が今川を東西から攻めるべく動きだし、徳川家康公は永禄11(1568)年、曳馬城に使者を送り、連竜の後家・お田鶴の方に「降伏せよ」と迫りますが、お田鶴の方は認めず徹底抗戦し、僅かな城兵や侍女11人らと華々しく討ち死にしました。彼女らを憐れんだ浜松の庶民に今でも「椿姫観音」さまとして祀られています。
徳川の手中に帰した曳馬城は「馬を曳く」つまり「敵に対して退く」事に通じると嫌がられ、名を「浜松」城と改められ、対武田の最前線基地として改修されます。
その後、武田と戦い抜き、織田信長公が本能寺で討たれ、様々な経緯を経て家康公が征夷大将軍となったことから浜松城は「出世の城」と知られることになります。
お酒にも「出世城 浜松城」があります。
かつての曳馬城跡には、「元城町東照宮」が鎮座ましましております。まずは参拝。
穏やかな日差しに包まれた素晴らしいお社でした。
こちらの境内に浜松を出世の足掛かりにした二人が銅像になっております。
二体の銅像の間に立って記念撮影もできます。
神社と城を巡ってお腹が空いたら、浜松名物の餃子はいかが?
地図はグー○ルマップをお借りしました。
「餃子むつぎく」常に行列が並び、ソレガシも昼過ぎに行きましたが一時間並びました。
三十個ありますが、キャベツをたっぷり使っておりサッパリと頂けます。
帰りの新幹線車中から富士の御山がよく見えました。
旅は楽しいですね。