12月1日 生まれのあの方…

 おはようござる。

 12月ですね。今年もあと一月…今日という日はどういう日なんだろう、と調べたら、なんとあの方の誕生日でした。

 その方は…


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 甲斐(山梨県)の猛虎と恐れられた武田信玄公です。旧暦では大永元年11月3日にあたりますが、現在の暦では今日にあたります。

 


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 上杉謙信公…信濃川中島で雌雄を決したこともありましたが、信玄公の死去に、一代の英雄の死を惜しんだ、と云われています。なお、死後三年は死を秘匿せよ、と言い残した信玄公でしたが、一週間と経たずに敵対大名に知れ渡っていたそうです。

 


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 織田信長公…信玄公を恐れ、贈答品の入れ物に使う漆器にすら気を使って入念に重ね塗りをさせた、との事。

 また世に言う「長篠の戦い(設楽原・有海原の戦いともいう)」直前の書状で信長公は『味方の勝利間違いなし、これで年来の鬱憤を晴らせること必定』と大喜びしていました。

 


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 徳川家康公…この方も武田との戦いに神経を磨り減らし、妻や息子すら死に追いやらねばなりませんでした。

 後年、重臣石川数正が裏切った後、軍制を武田式に切り替えています。長年戦った相手だからこそ、その真価を知っていたということでしょうか。

 

 数多の英雄達を恐れさせた信玄公ですが、ソレガシはあまり評価していません。それは、武家(上は皇室、公家、下は庶民もですが)の最大の目標『御家の存続』に失敗しているからです。

 貧しい甲斐を富ませる為、父を追放。


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 武田信虎公。

義理の弟を自害させ、息子や重臣をも死に追いやり、同盟相手をも裏切ってまで領土を拡げましたが、いかんせん敵を増やしすぎました。

 跡継ぎの武田勝頼公(正確には勝頼公の息子を跡継ぎに指名、勝頼公は後見役)の権威と権力を十分に確立しないまま亡くなったのはいただけません。現代に例えるなら、立派な本社ビルを残したけど、膨大な負債を残して社長にすべき人物を副社長のまま経営を託すようなものです。どれだけ無理ゲーですか?

 


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 あの世で信玄公は何を思うのでしょうか?

 

 オマケ

近々、シュラフとテントを買い、年内にはソレガシ流のソロキャンプを披露いたしたい。