映画「1917 命をかけた伝令」を見た

 こんばんわ。

 久々に映画を見てきました。


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「1917 命をかけた伝令」

舞台は第一次世界大戦西部戦線、英国軍陣地。休憩していた若い兵隊二人は呼び出されて、将軍から「最前線の部隊に攻撃中止命令を届けよ」と下命されます。そして二人は最前線に向けて歩き出します…。

 監督はサム・メンデス。全てワンカットで撮影しているため、見ている我等も共に最前線を駆けているような感覚を味わえる…かもしれません。

 

 ミリタリーマニアなソレガシは英国軍の装備品やライフル(リー・エンフィールド)を実装したまま走る兵士を見て楽しい。


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 ライフルの発砲音が楽しい。鍋みたいな英国兵のヘルメットがださい、など見所豊富ですが、一般人はどう思って見ていたんでしょうね?ほぼ満員でした。

 ソレガシの隣の席の男の呼吸音がうるさくて殺意を抱きました。

 

 さて、情報は平時・非常時、大事なものであり、官民関係なく重要性は皆の衆もお分かりでしょう。

 伝令とは、その情報を届ける役割ですが、時に大切なメッセージを口頭で託される場合もありますので馬鹿には勤まりません。

 また命懸けでやらなければならないので、古代ギリシャマラトンの戦い後にアテネ軍の勝利を伝える為に走り抜いた兵士が勝利の報せをアテネに届けた後に亡くなりました。その故事からマラソン競技が始められたのは有名ですね。

 

 そんな男が我が日本にもいました。


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 鳥居強衛門勝商(とりい すねえもん かつあき)です。奥平家に仕えた足軽で、武田勝頼率いる軍勢に囲まれた長篠城から水路を使って脱け出し、援軍に来ていた織田信長徳川家康に面会して長篠城救援を乞います。

 織田信長は「あっぱれ、でかした。我等が来たからには武田軍など物の数にあらず」と救援を確約した上で強衛門に共に行くことを薦めますが、強衛門は「味方が報せを待っておりますので」と断り、一人長篠城に向かいます。

 強衛門はあと少しまで長篠城に近づきますが、警戒を強化していた武田軍に捕まり、そのまま武田勝頼の前に連れていかれました。

 勝頼は「城の者共に援軍は来ないから開城せよと伝えたら、武田家で厚く遇してやろう」と提案したので、強衛門は「ただの足軽なのでお言葉に従います。城中に伝わりやすいように磔にしてもらえますか?」と依頼します。それが上の画像です。

 磔にされた強衛門は城中に向けて「御味方はすぐに来るから、あと少し耐えろ!」と叫ぶと、城中からは呼応するように勝鬨があがりました。

 磔にされていた強衛門はそのまま槍で串刺しにされましたが、その胸中にはどのような思いが去来していたのでしょうか?

 合戦は設楽原で行われ、武田軍の惨敗に終わりました。

 後に落合左平次という武者がその話に感動して、磔姿の鳥居を自分の旗にしました。

 旗の実物は、千葉県佐倉市にある国立民俗博物館(通称ミンパク)で保管されています。

 

 映画を見た後、大戸屋でホッケ定食を頂いて帰りました。


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 オマケ

 
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 38式歩兵銃を持つ日本兵。かつて日本のライフルを前近代的と批判したアホな歴史作家がいたそうですが、他の国の軍隊も古いライフルを使ってましたよ。負け犬根性って、やーね!